泉田宥美治療院 | お店のミカタ https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/ 患者さんの気持ちを第一に考える治療院 【日記】 今でも考えてしまう事 Fri, 20 Sep 2013 22:02:06 +0900 532509 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/532509 私がプロボクサーだった頃の話。<br /><br />6回戦に上がった頃、怪我の為、1年ほどブランクがあった。<br /><br />その頃、マネージャーから1人の青年を見るように言われた。<br /><br />A君はプロを目指していて、数か月後にプロテストを受ける予定だった。<br />私より2歳ほど年下の子だった。<br />私はA君の練習を見守り、気が付いた事をアドバイスしたりしていた。<br /><br />トレーナーになって気が付いたんだけど、自分が疑問に思っている事を、その子にアドバイスしている自分が答えを言っている時があった。<br />練習している時とは違う目線で見ることは、すごく勉強になった。<br /><br />何故、こういう動きをしなければならないか?<br />何故、こうしなければならないか?<br /><br />それを考えて、伝えようとする。<br />それはイコール自分に対する答えでもあった。<br /><br />最初、練習ができないことをストレスに感じていたけれど、段々、トレーナーをするおもしろさにも引き込まれていった。<br /><br />そして、その子がプロテストを受けるのに必要なCT検査を受けた。<br /><br />そこで思いもよらない事が起こった。<br /><br />マネージャーから呼ばれ、ある事実を伝えられた。<br /><br />「A君はプロテストを受けられない」<br /><br />CT検査の結果、脳に影が見つかったとの事。<br /><br />生まれつきなのかどうかは分からない。<br />とにかく、プロテストを受けられない事だけは動かしようのない事実だった。<br /><br />これまでのA君の頑張りようを間近で見ていただけに、A君のことを思うと言葉にならなかった。<br /><br />A君がいつものように練習にやってきた。<br />マネージャーにその事実を伝えられたA君は、一目でわかるほど落胆していた。<br /><br />「A、ざ、残念だったな・・・。」<br /><br />私のところにやってきたA君に、私は絞り出すように声をかけた。<br /><br />チャレンジして受からないとかだったら、励ましようもある。<br />けれど、チャレンジすらできない悔しさは残念ながら経験していない私にはわからなかった・・・。<br /><br />結局、A君はそれっきりボクシングを辞めてしまった・・・。<br /><br />だから、今でもふと思い出し、あの時、私はなんて声を掛けるべきだったのかと考えてしまう・・・。 【日記】 体罰 Sat, 07 Sep 2013 07:20:08 +0900 526314 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/526314 昨日、テレビで桜宮高バスケ部自殺初公判の放送を見た。<br />私は改めて、顧問の先生に対する激しい怒りを覚えた。<br />「自分の子供にも同じことができるのか?」<br />という問いに「・・・できません。」との答え。<br />自分の子供にできないことを無抵抗の立場の生徒に何故できるのだろうか?<br />これは指導ではない。<br />完全に自分の腹立たしさからくる暴力以外のなにものでもない。<br />本当に自殺された主将だった少年がかわいそうでならない。<br />おそらく好きではじめたバスケットボール。<br />笑顔で楽しくやっていたであろうバスケットボール。<br />しかし、最後は主将になったことで、顧問からの暴力に怯え、笑顔が消えていたに違いない。<br />そして、その大好きだったバスケットボールを続けることに思い悩んで「死」を選ばなければならないなんて・・・。<br />本当に・・・本当にかわいそうでならない・・・。<br />私は学校の部活動の理不尽な先輩後輩の上下関係が嫌で、中学生の頃から、ジムに入って練習していた。<br />高校生の頃なんかは、スパーリングで鼻血を出してもひるまない根性を認められてプロの選手にかわいがられた。おかげで高校生の頃に鼻は潰れていた。<br />私はボクシングをやっていたけれど、理不尽な体罰をされたことなんて1度もない。<br />私は今まで5つのジムを渡り歩いたけど、どこのジムも根性をみせれば評価してくれ、認めてくれる。たまに腹の立つ先輩なんかいれば、スパーの時に思いっきり殴れるし、なんのストレスもなかった。ボクシングは相手を殴る競技だから、そういう体罰は必要ないのかもしれない。それか、私が、指導してくれた先生たちに恵まれていたのかもしれない。もしかしたら、格闘技系でもあるのかもしれない。<br />とにかく、スポーツの指導による体罰の必要性をまったく感じないし、理解できない。<br />学校生活における素行の悪さを正すのに体罰は必要じゃないかとは思う。<br />しかし、そこにも口で指導しても聞く耳をもたず、更生の可能性がない、という条件付きでアリだとは思う。<br />結局は指導者の思い通りにいかないストレスのはけ口、変な根性論。<br />これにつきると思う。<br />私がもし、ボクシングをしていて体罰されていたら、プロになってはなかっただろう。<br />そして、ボクシングが嫌いになっていたと思う。<br />指導者なら口で理論を説明し、納得させるべきだと思う。<br />おそらく体罰をする指導者は自分もされたことがあるという人が多いのではないだろうか?<br />だから、そういうもんだと、自分はやっていい人間なんだと普通に思っているのだろう。<br />それにしても、自殺された生徒のことを思うとやりきれない・・・。 【日記】 他人を思いやる心 Fri, 06 Sep 2013 03:02:21 +0900 525826 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/525826 私が以前、勤めていたお寺での話。<br />ある日、池に落ちている落ち葉掃除をしようと、大きな網とゴミ袋を持って庭に行った。<br />すると、学校帰りの高学年の小学生7人くらいが池の周りでゲームをしたり、池の鯉を見て何やら話したりしていた。<br />「こんにちは!」<br />私は一瞬、声をかける前に少し不安に思っていた。<br />&nbsp;(最近の子供って、挨拶しても返してくれるかな?うるせー!とか言うのかな?)<br />&nbsp;「こんちはっ!」<br />私の不安を吹き飛ばす、元気のいい気持ちの良い挨拶が返ってきた。<br />「あ、僕達もなんか手伝います!」<br />私の持っている網とゴミ袋を見て、1人の子供がそう言った。<br />他の子供たちも一斉に私の方に寄ってきた。<br />せっかくなので手伝ってもらうことにした。<br />そこの庭の池は結構大きかったので、1人でやると1時間くらいかかった。<br />でも、子供たちのおかげで30分ほどで終わった。<br />掃除している間、子供たちといろんな話をした。学校、家庭、友達・・・子供たちの生の声を聞くのは新鮮だった。<br />「よし!おかげで大体終わったわ。みんなにご褒美として、コンビニで1人150円奢ったるわ!」<br />「やったーー!」「ラッキーー!」<br />ここで私もやめとけばいいのに、私の遊び心が出てしまった。<br />「おじさんにジャンケンで勝った子は、もうプラス100円!」<br />「よっしゃーー!」<br />子供たちのテンションも上がった。<br />早速、1人ずつジャンケンをしたんだけど、私が異常な勝負強さを発揮してしまい、6人に勝ってしまった。<br />結局、プラス100円は1人だけという結果になってしまった。<br />近くのコンビニに歩いて行き、皆、思い思いのお菓子を選んでいた。<br />大体、皆、選んだみたいだったので、レジに行こうかと思ったら、1人だけ困ったような顔をしていた。1人だけジャンケンで私に勝った子だった。<br />「どしたんや?」<br />「勝った100円をみんなで食べられる物を買おうと思うんだけど、どれにしたらいいかわからなくて・・・。」<br />私はその子の言葉に驚いたと同時に、あ~苦しい思いをさせたな・・・と申し訳なくおもった。<br />もし、自分だったら「ラッキー!」と、思って自分の食べるお菓子を選んでいたと思う。<br />「ええから、ええから!100円ちょっと超えてもええから、みんなで食べるお菓子選び!」<br />私はその子の肩を叩きながら言った。<br />今の世の中、自分さえよけりゃ・・・みたいな時代。こんなに友達のことを思いやれる子供の存在。<br />私は心が洗われるような気持ちになった。 【日記】 「痛み」に対する考え方の変化 Sun, 25 Aug 2013 06:07:28 +0900 520243 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/520243 2000年に開業して以来13年。<br />その間、たくさんの患者さんを施術させていただきました。<br />そして、いろんな経験をさせていただきました。<br /><br />開業したての頃、ご高齢のご婦人が来院されました。膝が悪く数年病院に通っていたけど、一向に変化がなかったので当院に来られました。<br />膝が悪くなってから自転車にも乗れなかったそうです。<br />2度目に来院された時、その方は自転車に乗ってこられました。その方は大変驚かれていましたけど、それ以上に驚いたのは私でした。<br />ご高齢で強い矯正もできないので、結果がでるまで少し時間がかかるかな?と思っていました。それがたった1度の施術で結果が出た!<br />私は自画自賛というか、「私はもしかしたらスゴイ技術をもっているんじゃないか?」なんて思っていました。<br /><br />そうかと思えば、当院のモットーである「3回以内に結果を出す!」の3回施術しても痛みのとれない患者さんがいたりと、自信がついたり、なくなったりという繰り返しでした。<br /><br />本当に人間の体というのは奥が深いというか難しいなと思いました。<br />格闘技を長年やっていたせいか「痛み」というものに対しても、「痛み=悪」として、その「痛み」を私が退治する!みたいな考えでした。嫁や子供たちには「筋肉バカ」と揶揄されると思いますが(笑)<br />&nbsp;しかし、いつの頃からか「痛み」というものは体が発している「声なき声」だと思えるようになりました。<br />泣いている赤ちゃんに親が優しく、何故、泣いているのか問いかけるようなそんな感覚に思えるようになりました。<br />これからも、体が発している「声なき声」に真摯に耳を傾けて、施術に取り組んでいきたいと思います。 【日記】 人間にとって1番怖いことは・・・ Mon, 05 Aug 2013 02:47:43 +0900 511834 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/511834 人によってはいろいろあると思います。<br />でも、つきつめていくと最終的に残るのは「死」だと私は思います。<br /><br />&nbsp;&nbsp; 何故、そう思うか?<br />私がプロボクサーの現役の頃。<br />試合が決まった瞬間から、自分の心の中に恐怖心が芽生え、それは試合が近づくほどに大きくなっていきます。 &nbsp; 試合前日なんかはほとんど一睡もできず、気付いたら朝だったという感じです。<br /><br />そこである時、私はこの恐怖は一体何なんだろうと、つきつめて考えてみました。<br />「倒されるかもしれないから・・・」「大衆の面前で無様な姿をさらすかもしれないから・・・」・・・<br />でも、それをもっとつきつめていくと最後に残るのは、「死ぬかもしれない」ということでした。&nbsp;<br /><br />&nbsp; 実際、私のデビュー戦はボクシングの聖地後楽園ホールで、人気のある日本チャンピオンのタイトルマッチの前座でした。<br />会場は超満員。<br />&nbsp;2000人以上はいたと思います。<br />相手はアマチュアで数戦している選手。<br />対して私はまったく初めての試合。<br />私は恐怖心で試合が決まってからは、ほとんど眠れませんでした。<br />「負けたら自殺する」<br />変な話、そこまで追い込まれていました。<br />私は自分の気持ちを鼓舞する為、気がついたら「殺す」という言葉を繰り返し口に出していました。&nbsp;<br /><br />&nbsp; リングに上がった私は断片的な記憶しかありませんでした。<br />リングインした時、トレーナーから、上を向いて深呼吸しろと言われた時に見たライト。<br />試合が始まって、頭を下げて突っ込んでいっていた時に下からアッパーをもらって、天井を見た時に見たライト。<br />気がついたらレフリーに右手を上げられていました。<br />その時に見たライトの眩しさだけが強く印象に残っています。&nbsp;<br /><br />&nbsp; その後も常に恐怖を抱えたまま現役を続けていました。<br />でもそれは死なない為に必死で命を燃やして生きていたんだなぁと思います。<br /><br />だからこそ、プロボクサーだった頃の自分は、今でも心の支えになっています。<br /><br />&nbsp;&nbsp; ともすれば、ただ、だらだらと過ごしてしまいそうになる毎日。<br /><br />あの頃のように「生」を噛みしめながら、命を燃やして生きなくてはと思ってしまいます。 &nbsp; 【日記】 生きるとは・・・ Wed, 31 Jul 2013 05:20:15 +0900 509408 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/509408 「何の為に生きているのか?」&nbsp;<br /><br />&nbsp; 誰しも1度は考えたことがあるのではないでしょうか?&nbsp;&nbsp;<br /><br /> 「伊豆の踊子」という小説で有名な川端康成さん。&nbsp;<br /><br />&nbsp; この方は、<span>二歳のときに父を、三歳の時には、母を失ってしまい、</span> &nbsp; <span>姉とふたりきりになってしま<br /><br />います。<br /><br />その後、母の実家に引き取ら</span> &nbsp; <span>れ、姉は伯母の家に預けられます。</span> &nbsp; <span>七歳のとき祖母が死に、十<br /><br />歳のときに生き別れになった姉が亡くな</span> &nbsp; <span>ってしまいます。</span> &nbsp; <span>以後祖父と二人暮しを続けました<br /><br />が、十六歳のとき祖父が亡くなっ</span> &nbsp; <span>て、とうとう天涯孤独な孤児となってしまいます。</span>&nbsp;&nbsp;<br /><br /> <span>そんな時、川端さんはこんな風に自問自答したそうです。</span>&nbsp;&nbsp;<br /><br /> <span>「人間の一呼吸は墓場への進軍の曲なり、なんぞ活動せねばならん</span> <span>や?」</span>&nbsp;<br /><br />&nbsp; <span>「人生とは感激の為なり。」</span>&nbsp;&nbsp;<br /><br /> <span>そして、後々、すばらしい作品を残され、人々に感動を与えまし</span> <span>た。</span>&nbsp;<br /><br />&nbsp; <span>幼少期に想像を絶するような経験をされた川端康成さんの言葉は、</span> <span>非常に心に響きます。</span>&nbsp;<br /><br />&nbsp; <span>私が治療師になったのも、自分の非常に悪かった腰の状態。</span>&nbsp;&nbsp; <br /><span><br />それを劇的に変えて、生きる希望を与えてくれた感動。</span>&nbsp;&nbsp;<br /><br /> <span>その感動を1人でも多くの人に感じてもらいたい!</span>&nbsp;<br /><br />&nbsp; <span>それが私の「生きがい」でもあります。</span> &nbsp; &nbsp; 【日記】 私の治療への思い<2> Mon, 29 Jul 2013 00:48:56 +0900 508437 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/508437 私は僧侶になりたくないというのもあり、15歳からプロボクサーになろうと決めました。トレーナーから、「お前のボクシングはアマチュアじゃなく、プロに向いている!」と言われたことが本当に嬉しかったです。<br /><br />そして、いろんな紆余曲折がありつつ、19歳でプロボクサーになりました。両親と4年間という約束だったので、どうせ勝負するなら東京で!と決めていました。<br /><br />当時、映像では見たことがなかったんですけど、ボクシング雑誌の記事でファンになった伝説のボクサー「飯泉健二」さんの所属している草加有沢ジムに入りました。「飯泉健二」さんは映画にもなった悲運のボクサーで実物は私の想像以上の方でした。新人王戦の時にシューズをもらったのは良き思い出です。<br /><br />高校生の頃、仕事で初めて腰を痛めてから、ずっと腰痛には悩まされていました。でも、外から見るとわからない痛みなので、なかなか言い出しにくかったです。自分でも、弱音を吐いていると思われたくなく、限界まで我慢していました。<br /><br />デビュー戦を1ラウンドKOで勝利し、新人王戦の準決勝で初めて敗北。そして、次戦、世界タイトルマッチの前座で無敗のホープとの戦いに敗れ連敗。その頃は腰の状態も非常に悪かったです。ロードワークもほとんどできませんでした。<br /><br />1年休養し、1敗を挟んで連勝しA級ボクサーになり、初めての8回戦を7ラウンドKOで勝ちました。元日本ランカーに勝利し、次戦で日本ランキング入りを賭けた賞金トーナメントにエントリー。結局、そのトーナメント初戦の5日前、重度の腰椎分離症になり動けなくなりました。悔しかったのは、そのトーナメントを優勝したのは私が勝利した人だったことです。勝負に「ればたら」はないんですけど、勝つ自信があっただけにやりきれませんでした。<br /><br />結局、両親との約束の4年目ということもあり、腰の状態も良くなく、引退してしまいました。<br /><br />引退した後、あるトムソンテクニックを使用するカイロプラクティックの先生のところで腰の状態がすこぶる良くなりました。それまでは走ることはもちろんのこと、まともに歩けませんでした。<br /><br />私はすごく感動しました。もっとはやくこういう治療をしておけば・・・。「自分と同じように後悔してほしくない!」そんな思いで治療師になりました。 【日記】 私の治療への思い Fri, 26 Jul 2013 02:17:55 +0900 507131 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/507131 私はお寺の家に生まれました。
小さい頃から、将来は僧侶になるよう言われていました。私もまた、それはしょうがない事だと思っていました。
小学校の「将来の夢」と題した作文でも、「私は将来、僧侶にならなければならないが、もし、ならなかったら・・・」というような前置きを書いていました。
ところが、忘れもしない中学2年の終わり。
高校生の不良たちに絡まれて、カツアゲをされてしまいました。
私は中学1年の頃から、ジャッキーチェンさんに憧れていて、自分で中国拳法の本なんか買って、独学で練習していました。
私と一緒に1学年下の子と練習していて、その子から「師匠!」なんて呼ばれていました。(笑)
型を覚えたり、組手っぽいこともしていました。
でも、そんな「ごっこ」はなんの役にもたちませんでした。
私は怖くて怖くて、結局、何も抵抗できませんでした。
家に帰ってから、男として何もできなかった自分が悔しくてたまりませんでした。
そんな思いを抱えていたある日。
テレビでボクシングの世界タイトルマッチがありました。
渡辺二郎さんの試合でした。
相手のパンチを見切って、自分のパンチを打ち込むその姿。
一瞬で心を奪われていました。
なんの迷いもなくボクシングを始めました。
しかし、「スポーツ」としてではなく、相手に仕返しする「手段」としてでした。
当時のトレーナーもそんな私の志望動機に、笑って「よし!がんばろな!」と言って、受け入れてくれました。
1年間練習し、自分のパンチにも自信がつきはじめたある日。
絡まれた不良たちがいるゲームセンターに仕返しに行こうと考えていました。
すると、トレーナーが「お前、まだ、仕返しを考えているのか?お前の拳は、もう普通の拳じゃない!お前、プロになれ!」と、いつもはニコニコしている人が真剣な顔で私に言いました。
私はそれが嬉しくて嬉しくて、仕返しすることなんか吹っ飛んでしまいました。
今になって思うと、あのトレーナーの方は私の気持ちをうまく指導してくれたなぁと感謝しています。
ちょっと、長くなったので、また後日書きます。
【カテゴリーなし】 シルバー割引 Sat, 20 Jul 2013 12:42:23 +0900 504341 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/menu/504341 (70歳以上の方) 【カテゴリーなし】 ペア割引 Sat, 20 Jul 2013 12:41:20 +0900 504339 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/menu/504339 (お2人様) 【カテゴリーなし】 2回セット Sat, 20 Jul 2013 12:38:14 +0900 504336 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/menu/504336 (有効期間2か月) 【カテゴリーなし】 通常施術料金(約40分) Sat, 20 Jul 2013 12:36:30 +0900 504333 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/menu/504333 トムソンテクニックによるカイロプラクティック施術 【クーポン】 カイロプラクティック施術 Sat, 20 Jul 2013 12:29:54 +0900 504324 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/coupon カイロプラクティック施術 【日記】 はじめまして。 Sat, 20 Jul 2013 12:22:44 +0900 504319 https://yuubitiryouinn.on.omisenomikata.jp/diary/504319 泉田宥美治療院の中村と言います。
当院は2000年に開院いたしました。
まずは自己紹介をさせていただきます。
私は香川県出身で、実家はお寺です。しかし、僧侶になりたくなくて、両親から4年という期限付きで東京でプロボクサーになりました。
高校生の頃から腰を痛めていました。私の当時は腰痛に対する理解もあまりなく、弱音を吐いていると思われたくなく、我慢に我慢を重ねていました。
しかし、選手としてのレベルが上がるにつれて激しくなる練習。
両親との期限の4年目。3連勝し、A級ボクサーに上がり、日本ランキング入りを賭けた試合5日前。とうとう私の腰の限界が訪れました。まともに歩けない体になってしまいました。
いいといわれる病院、治療院など行きましたが結局、期限を迎えたということで私もあきらめました。
自分はパンチもそんなになく、スピードもなく、自信があったのはダウンしたことがないタフさだけでした。でも、せめて倒される自分の限界まで挑戦したかったというのが心残りです。
今になって思うのは、痛めた当初から適切な治療をすればよかったと後悔しています。
&nbsp;その後、カイロプラクティックのトムソンテクニックを使用する先生のところで、まともに歩けるようになるくらい回復いたしました。その時の感動は衝撃的で、今でも昨日のように鮮明に覚えています。
あの時の感動を1人でも多く伝えたい!そんな思いで治療師になりました。